よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

姪っ子の話

 

砂川さんのメルマガに載せた記事です

自分なりのコツコツ活動が実っているなぁと感じたことです👍

 

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先日、妹家族と出かけた時、姪っ子(小学4年)がペンケースを買い替えると言うので一緒にその店へ。姪が嬉しそうに「コレ〜」と持って来たのは、私のイメージしてたペンケースとは違っていました。私は、キラキラおしゃれポーチじゃん、学校はこれ大丈夫なの?と聞きました。すると、今、こういうの持ってる子多いよと。  

ふむふむ、なるほどジッパーで3つに仕切られていて、大容量で色ペンも定規セットも入れられる。ポーチにもペンケースにも使えて実用的だ。姪っ子はお気に入りを手にして嬉しそう。

 

買い物を済ませ、私とパートナーと、姪っ子とその母親(私の妹)とでお茶をしながら自分たちが小学生の頃の筆箱の話になりました。女の子は赤やピンク、男の子はほとんど青だったよねと。特に男の子向けのは、ガチャガチャと何段式とか凄い仕様が流行っていて、ボタンが付いていたり、で、それを押すとケースがスライドして飛び出すみたいなのもあった。  

 

ちなみに私のは赤のシンプルな、一つだけ扉というか入れる場所がある筆箱でした。多分、母と買いに行って決めたと思うけれど、選んだ記憶が無い。ランドセルも筆箱も「女子は赤(赤系)」の時代だった。口々に「今なら好きな色選べるね」と言った。通学の鞄だってランドセルじゃなくていいしさ(私たちの時代は決まっていたんだろうか?)。実際、姪っ子はランドセル以外の鞄を使っています

 

ランドセルの話からパートナーが、姪っ子に「そういえば、聞きたかったんだけれど、最近になって那覇市とか小学校でランドセル以外の鞄もオッケーってニュース出たよね。〇〇ちゃんは初めからランドセルにしなかったでしょう、なんか言われたりした?」と聞きました。パートナーは姪っ子が入学する際、ランドセル以外の鞄を選んだことをどう捉えているか聞いてみたかったらしい。

自分が納得しているのか、親の意向を優先させてないかとか…と。

 

「一回だけ言われたー」と姪っ子。「何でランドセルじゃないのか?」と聞かれた(聞かれたというよりおかしいと指摘されたんだね)。それに対して姪っ子は「は?学校にはランドセルって誰が決めたの?」と聞き返したらしい(笑)。すると相手は、バツが悪そうに「学校はランドセルだろ!」と言い返して、その後何も言わなくなったらしい。母親もここまで踏み込んで聞いたことなかったと驚いていました。

 

ランドセルは高いし重いし、子供に持たせたく無いと思っていた親は、学校が提示した入学時用意する物の記述に通学鞄はランドセルに限るとは記されて無いのを確認して、親子で軽くて丈夫で価格も安い鞄選びをしたのでした。選んだのは京都の学校で使われている鞄でした。その京都の学校でもランドセルの重さと高額な価格を問題視したんだそうです。

おかげで予備の鞄まで買えて満足したのでした。

 

先の話に戻りますが、パートナーが姪っ子に「鞄について自分で考えて答えたんだね」と言うと、「あの子たちは知らないんだよ。自分とは生活環境が違うんだよ。」と姪っ子の言葉。続けて「だっていろんな考え方やいろんな人がいるんだよ?」と。  

私もパートナーも妹(母親)も驚いた。そして「私はいろんな人がいるって知ってる環境にいるんだもん、メイク好きな男の人もいるし、パレードとか行くといっぱいいろんな人がいて素敵さー、だから、自分のいいものを選んでいいんだよって知ってる」と興奮気味に語ってくれました。

一生懸命伝えようとしてくれた小学4年生に、おお〜!と大人3人で拍手。  

「当たり前と思って刷り込まれたイメージで生活していくと、お金もかかるじゃん、怖〜」と大人たちは言いました。  

そして皆で「今更こんなことがニュースになるなんてねぇ」と話ました。この時期になると普段は「ラン活」記事を載せて購入を煽るメディアなのにねー。  

 

沖縄では、学校側がランドセルに限ると指定してる環境が多数なのかわからないけれど、自分の(子供たちの)行きやすい様にすることが当たり前でしょうに。重くて高いランドセル、子供の意見は聞いてるかや?  

やっぱり環境って大事だなぁとしみじみ思いました。  

そして、私(マイノリティー)が、フツーに生きてるってすっごい大事じゃんと思ったのでした。

 

 

 

伝える姿勢

先のブログにも書いた「結婚の平等にYES!」イベントで思ったこと。

12月の砂川さんのメルマガに寄たお話もUPしておきます(ちょっと足した部分もあります)

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私とパートナーは先日、「結婚の平等にYES!」というイベントへ行って来ました。このイベントは公益法人「marriage For All Japan-結婚の自由をすべての人に」の呼びかける同性婚実現に向けたキャンペーンで、全国の地域・セクターを超えて連携すること、市民の理解促進、機運向上が目的です。今回、沖縄でも実行委員会が立ち上げられ開かれました。

 

メインは『同愛一家』(原題)という台湾のドキュメンタリー上映で、その後、トークセッションがありました。トークセッションのメンバーは、イベントの実行委員のてぃーだあみ(セクシュアルマイノリティと社会を取り巻く問題を出発点に、人権について考え、語り合い、発信していくグループ)から竹葉さん、台湾からのゲストで台湾ジェンダー平等教育協会事務局長のハンさん、沖縄で女性同士のカップルで子育てをしているmatoさん(fufu-hug 当事者カップルへの個別相談や学校での授業づくりやイベント企画などを行なっているそうです)に、同性婚訴訟の九州弁護団からの仲地綾子弁護士(沖縄出身の方)、そしてもう1人、実行委員リキさん。リキさんは、沖縄初のろう者のセクシュアルマイノリティを支援する当事者団体「いるまんちゃー」の副代表です。

 

私が心に残ったのは、映画も良かったのですが、イベントを伝えようとする姿勢でした。舞台上には手話通訳の人が2人?3人いたかも。

それと、台湾からのゲストにもしっかり日本語通訳が1人付いていました。そして、映画用のスクリーンとは別にスクリーンが用意されていて、会話を文字にして表示するようになっていました。黒バックに白抜きの文字で見やすく、司会による言葉や登壇したみなさんのちょっとしたやり取りも、文字表記されていました。

 

いるまんちゃーの副代表のリキさんの手話にも、同時通訳的な発声の通訳が付いていました。もちろん文字の表記もされます。

 

私は、参加した人が、聞こえないとか通じないとかで残念に感じてはいないかと、心配にならずに過ごせました。このような感覚になれたのは初めてだったと思います。こういう気配りや姿勢って、良い催しでも足らない部分だったりするのです。残念あるあるです。

 

今回のイベント、実行委員の皆さんに、感謝と拍手を贈りたいです。

いろんな背景、事情を持つ人たちが参加しやすい場を作る意識、それを実践していくって、カッコいいよなぁと。

 

 

 

 

 

 

 

「結婚の平等にYES!」へ行きました

 

 

結婚の平等は、きっと近い将来この国でも実現するだろう。

そうならなくては、この国の未来はないと私は思っている。

 

私とパートナーは先日、「結婚の平等にYES!」というイベントへ行って来ました。このイベントは公益社団法人「Marriage For All Japan-結婚の自由をすべての人に」の呼びかける同性婚実現に向けたキャンペーンで、沖縄でも実行委員が立ち上げられ開かれました。

 

メインは映画上映で『同愛一家』(原題)という台湾のドキュメンタリーを観ました。その後、トークセッションがあり、メンバーはイベント実行委員と台湾からのゲストと、女性同士のカップルで子育てをしている方、そして同性婚訴訟の九州弁護団から弁護士(沖縄出身の方)でした。

 

台湾はアジアで初めて同性婚を認めた国。

映画では、同性婚が認められるまでの台湾の様子を3組の家族の日常を通して見せてくれます。精子バンク(?)を利用して子を持ち、パートナーとの婚姻を望んでいるレズビアンカップル、起業し生活の安定を願う若いゲイカップル(一人はマカオに国籍がある)そして、長年連れ添い老いを実感するゲイカップルです。

沖縄と近い地域の台湾、日常の雰囲気も似ていて、とても身近に感じました。

私は長年連れ添ったゲイカップルに自分たちの今を重ねていました。映画では長く連れ添ったパートナーに物忘れの症状が出て来て、それを看ている相方が「自分にもしものことがあったら、この人はどうなってしまうのか」と心配するところはもちろん、実は一番重なったのは、本当に普通の飾らない生活のシーン。朝起きて食事をつくって(彼らの朝食はスムージーみたいなものでしたが)毎日同じメニューを続けているところや、寝巻きだったり下着でウロウロしたり、ダラっとした感じとか。パートナーに散髪をしてもらっているシーンは本当にうちと同じで笑ってしまった。

 

一緒に買い物に出かけ、病の症状が出るパートナーをサポートしている様子は、私たちカップルも、こんな感じだよなぁと思うのでした。

日常ってどこも似ているんだなぁと思いながら観ていました。

が、台湾では同性婚が認められました。彼らは結婚の平等、人権の平等を手に入れたのです。

ああ、一気にウチとは全然違う景色になった。

 

私はパートナーと長年暮らして来たけれど、病気になった時も個人の制度を使って凌いできました。急に入院した時も病院側にパートナーを認めてもらえずしんどいことあったし。細々と払っている保険も自分が死んだらパートナーではなく、受取人は妹のままだ。保険会社もLGBTへの取り組みは進んでいて、受取人を同性パートナーにすることは可能になっているとこも多いけれど、パートナーシップ証明書などの提示が条件とかで、それはうちにはクリアできない条件です。残念。

お互いがどこに住んでいても、安心できるように、生きているうちに同性婚が出来るように。そのために自分なりに動くし、表立って活動を頑張る仲間たちへの応援もしたいとあらためて思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「満身創痍」

 

「満身創痍」意味を調べると「身体じゅう傷だらけであること」「精神的に傷つき、痛めつけられているさま」「さまざまな病を抱えて苦しんでいるさま」とある。まさに当てはまるなぁとしみじみ思う。あんまり自分に当てはめたくないけれど、実際はピッタリで泣きが入る。

 

だいぶ昔から持病を抱えて生きてきたので、心身状態の凹みは幾度もあって、この歳にもなると、その凹み時期をやり過ごすのもちょっとは上手くなっている…で、鈍感力や最近では楽観力も身につけた。と、思ったのに。

 

このところ数年前から患っている腰部脊柱管狭窄症が、急激に悪化。酷い時にはベッドから起きるのも激痛でやばい状態だった。どうにか痛みで叫ばずに起きられるくらいになったが、両足に痺れや痛みが出て、歩くことが容易でない。背を伸ばせず腰を曲げ屈んで歩く。それでも部屋の中の移動がやっと。トイレやお風呂は自分で出来ているのが救いだ。

 

ああ…今、大きな持病を抱えつつ別の疾患が出てきて。痛み、治療をしなくてはならない時、ほんと凹む。

この感じ、大きな持病を抱えて生きているのと、セクシュアルマイノリティが背負わされている重荷と、似ているとおもうんだよなぁ。下ろすことが出来ない荷物。

 

ただでさえセクシュアルマイノリティとしてしんどさを抱えているのに…これってまさに満身創痍。もう思考停止したい!って思ったり…

でも、それでも生きるために考えちゃうんだよな…(苦笑)って言っても答えが出ないただ考えているだけがほとんどで。

 

そんな感じに過ごしていて、最近わかったのが、この無駄と思われがちな答えを出ない時間が大事だということ。それは、無駄ではなくていつでも「時間は流れている」ということだった。痛みに耐えているのはしんどい。でもそんな状態のときで時間は流れていて、今の痛みの具合が確実に変化しているということ、息を堪えて痛みを堪えているとだいたい少し和らぎが訪れる。ピークをやり過ごせる。苦しさが過去になる。痛みに対して身体も精神も対応できるようになったりするから。時間って凄いって思うのです。

 

時が過ぎるのが早すぎて嫌になることもあるけれど、時ってすごい。

私たちセクシュアルマイノリティの存在が当たり前にもなったし。

そしてもっとその当たり前が広がって行くはず!

 

あらら、痛みのせいで泣き入ってたのが書いている間に、心晴れてきたかも。

いやいや、それって薬の効果でしょう(笑)早く痛みを抑えたいわ〜

 

「病院選び」と「ご家族の方」

前に書いた文をちょっと手直ししました。タイトルもちょい足ししています。

 

 

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先日、内視鏡検査のため大きめの病院へ。

通院している病院で受ける定期検査の結果があやしいと、総合病院など大きめの病院で二次検査を受けるように促されます。私は透析治療をしているので、もしもの時や入院などに対応出来るように(透析治療も)ということなのです。

 

今回の内視鏡検査は初めてなので、どこの病院にするかという病院選びからです。

通院している病院の勧める病院にしなかったのは、開拓しなっくっちゃという気持ちがあったからです。

LGBTQが通いやすい病院開拓をせねばという気持です。そして、もし病院側としんどいやり取りがあっても頑張るぞという心持ちでした。

 

はじめは家から行きやすく、比較的新しくできた病院にしようと思ったのでした。比較的新しい病院で、全国に展開している病院です。あらかじめ情報を検索、病院のHPを見たりしらべました。

ポイントはLGBTQや女性、ジェンダーについて何か発信されていないか。すると同系列の病院(東北地方)の院長ブログを発見したのです。

そのブログには、なんとLGBTQに対して否定的なことが書かれてあったのです。LGBT理解増進法のことや生殖のこと、子育てについても同性愛否定論が展開されていて、読むと気分が悪くなりました。連続でUPしてあるブログ記事。だから、沖縄の系列病院にするのはやめました。

もちろん、沖縄の系列病院の院長の考えはどうだかわからないけれど、あの東北地方の病院長ブログは、とても恐ろしかったのです。

 

その院長ブログは「個人の意見」ということなんだろうけれど、公に堂々と書いて載せるとは…相当怖い人(ヤバい人)だなぁと思いました。これが命を預かる仕事をしている人の意見なのか…「命だけは平等だ」と、この系列の病院の創始者の言葉を聞いたことがあったけど、違うのだなぁと思いました。

 

そしてその病院を運営しているDrやスタッフの中にいる当事者、当事者の患者、患者の家族(当事者がいるはず)のことを想うと苦しくなりました。

ちなみにその後、同じ系列の病院で大阪だかの病院では、LGBTQサポーティブな活動をしているという記事を見つけました(ちょっと前の記事だけど) 

 

 

結局、病院は那覇市の病院にしました。那覇市はパートナーシップもファミリーシップもある。砂川さんが医療従事者向けの講座を行った病院もある。だから、ハードルは低い。もし、嫌なことがあっても、しっかりやり取り出来るだろうと思っていました。

私の気持ちとしては、那覇市の病院は「最後の砦的」に思っていて、最終手段として取って置いていた病院でした。でも受診したことはありませんでしたから、今回は実際どうか見てみる良い機会になりました。

 

初受診は検査日を決めるためだけでした。なのでサクッと終わりました。担当した医師は、あまり人の話を聞こうとしない感じでしたw。まぁ検査依頼だけだしね。彼には、流れ作業なんでしょう。

結果説明の時、私に付き添うパートナーにどんな感じか予想できました。

 

さて、検査当日。鎮静剤を使うので付き添いの方もお願いしますと指示されていたので、パートナーが付き添いました。

検査室の前で受付をし、待っていると看護師(女性)が来て検査の内容と流れを説明しました。そして付き添いの方は?と聞かれたので、私は隣に座るパートナーを「彼女が」と言いました。「あ、妹さんですか」と看護師。私はすかさず「いえ、パートナーです」とフツーに言いました。すると「そうなんですね。わかりました」とフツーに看護師は答え、パートナーに向かって、鎮静剤を使うのでという説明をフツーにしていました。良かったです。

 

実は、検査当日の朝、病院から検査前の確認の電話があったのですが、その時も同じ説明があり、付き添いの方は?と聞かれ、パートナーが付き添いますと言った私に看護師(声と名前で男性だと思われる)は、「ん?パートナー?」「ああ、ご主人様ですね」と言ったのでした。

私は「いえ、パートナーです」と言いました。看護師はモニョモニョと口篭った感じになり、私は「パート

ナーが付き添います」と2回も繰り返しました(笑)

こっちがパートナーって言ってんだから、「わかりました。パートナーさんですね」っていってれば問題無いのにさ。

それに「ご主人様」って呼び方どうにも気持ち悪いよなぁと。

 

話は戻り、検査も終わって朦朧とする中、リカバリールームに移動する時にも看護師が脇を支えてくれて、待合所にいるパートナーに向かって「ご家族の方、終わりましたよ。大丈夫でしたからね」と声をかけてくれました。私もパートナーに手を振りました。

1時間ほど休んで、帰る際、看護師が検査の様子を伝えに来ました。その時にも「ご家族の方」と呼びかけていました。私は「パートナーって言ってんのにぃっ!」と、ちょっと残念な気分でいました。それと「ご家族の方」ってなんだか当たり障りない感じだなとネガティブにとっていました。

でも、はッと気づいたのです。

アウティングにならないようにか!と(気づくの遅いっつーのw)

私は、かなり気負っていたんだと実感しました。傷つかないようにとか、もしおかしなこと言われたら指摘しなきゃとか…

そうだよな、不特定多数の人がいる場で

「〇〇さんのパートナーの方〜」って言うのがアウティングになるもんな。 

外来の医師は残念だったけれど、看護師やスタッフの人たちはまずまずよかったと思いました。

 

「ご家族の方」

良いなぁ。当たり前にそう呼ばれる経験って初めてだな。

と、思い出しつつ書いてきたけど、今、じぃ~んとして、なだぐるぐるしています。

 

昭和な空間に

 

ちょっと前にネットで、おすぎさんとピーコさんが現在どうしているのかという記事を読みました。そこには「認知症」「老老介護」という文字が並んでいて、心が痛くなった。

そして今回、その後の記事を読む機会があって、以前の記事の時より心が痛んだ…それと、一人で生きて来た人の心の強さが伝わってきて、凄いなぁと思ったのでした。

どんな状況になろうとも、「他人に迷惑をかけたくない」という心情は消えないのだと(元気な頃からピーコさんはそう語っていたと記事にありました)

 

もちろん、弱みを見せたく無いという気持ちもあるだろう。老いていく過程なら、身体も心も弱ってしまった自分を他人に見られたく無いという気持ちも強いだろう。

他人を頼りたくないと意固地になっていることもあるだろう(私も50を過ぎて、その年代の複雑な気持ちがジワジワ染みてくるのを実感している)

そして、セクシュアルマイノリティの人たちには(他のマイノリティの人もあると思いますが)マジョリティのような当たり前のサポートは受けられないという思いや諦めがあると思う。

だからホントにギリギリまで耐えて頑張ったり、認知症が出たがサポートがうまい具合に届かず、心身の状態がしんどい方に急速に進んでしまったりもあるだろうと。

それは一人で暮らす人でもパートナーと暮らす人でもだ。

 

記事を読み終わると、昔、おすぎさんの映画紹介の話を聞くのを楽しみに沖縄ジャンジャンに通っていた頃を思い出しました。

たまにピーコさんがゲストで出たり、永六輔さんといっしょだったり、私のジャンジャンの思い出はおすぎとピーコさんだなぁ。地下に降りていくあの雰囲気。もう二度と戻れない時代だなぁ。

 

頭の中にピーコさんの歌う「誰もいない海」が蘇りました。ピーコさんが目の手術をした話、おすぎさんが助けてくれ感謝しているのよと語っていました。

義眼の話、サングラスをかけるようになった話、サングラスでTVに出ると視聴者から、態度が悪い等の文句があったという話も聞きました。

病気をして片目を失い、命拾いしたんだから、夢だったシャンソンを唄っていこうと思っていると話し、ちょっと照れながら「今日はここの皆さんに、まだ練習中だけれど聞いてもらいます!」と言っていた姿を思い出します。初めの歌い出しは声は震えていました。でも、「海に約束したから、つらくてもつらくても死にはしないと」と歌う時には力強かった。決意が感じられました。

曲は知っていたけれど、ちゃんと聞いたことがなかった歌でしたが、この時から私もこの歌を心に留めようと思ったのでした。今も、自分を静かに励ます曲です。ピーコさんからもらった指針のような感覚です。

 

LGBTQで、老いや将来自分らしく終わるというロールモデルが無いと言ってもいいくらいの時代に生きた人…私もそうです。

おすぎさんやピーコさんみたいに有名になった人でも、しんどいってことだよなぁとしみじみ思う。

たぶんこのままの社会じゃ変わらないなぁと暗くなる。世の中、LGBTQに関する事柄は進んだとはいえ何の安心も確かでは無いんだから…

 

かわらない・かわれない

 

砂川さんのメルマガに書いた文ですが、足りない部分も多くてモヤモヤ。こちらにあらためて記録します。

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夕方、ぼんやりしてたら砂川さんから「恐ろしい」とメッセージがあって、ニュース記事が添えられていた。

なんと、松野(こいつはアホじゃ)官房長官が、関東大震災時の朝鮮人虐殺について「記録がない」という発言をしたのです。

ヒィーーッ、思わず声が出た。パッと浮かんだ思いは、<もうこの国なんて、攻撃されればいいんだよ 泣>だった。政府のトップによるあまりにも酷い言葉に、この国はリセットした方がいいんじゃね?という自暴自棄的な思いが沸き、高ぶって出た言葉だった。

 

この記事の見出しは、「記録がない」となっていたが、実際の発言は、「政府内で事実関係を把握できる記録が見当たらない」と言っていて、こいつは悪質なのか?アホなのか?どっちかやと思いました。

 

こんな常識的なことを堂々と覆すって、「まさかやー」と呟き、あり得ん!と思いました。 その後、砂川さんと内閣府のHP内で、関東大震災朝鮮人虐殺のことが記されていることも確認しました(災害教訓の継承に関する専門調査会報告書1923関東大震災にもありました。)

でもそういった記録でさえ過去に消されたことがあり(気づかれると復活させるという感じw)今の内閣だったらこの記録も消しかねないなと話しました。市民がワッチする必要があるのだなぁと思ったのでした。

で、先のトップの人(名前も言いたくないくらいデス)は、やっぱり悪質でアホということだなと確認しました。

 

はぁぁ…いつもこんな気持ちになると、この国はあの戦争の後、何を考えて来たのだろう?国として生き残ってこられたのは何故か?と考える。酷い戦争、日本以外のアジアの国々、世界の人たちに対して責任を取るべきだし、人間、やってしまったことを内観する姿勢を持つのがフツーじゃないのか?と、それができない人が国を動かしている…。

 

そして松野氏はこんなことを言ったくせに、「特定の民族や国籍の人々を排斥する趣旨の不当な差別的言動、暴力や犯罪はいかなる社会でも許されない」と語ったと書かれてあった。この語り、思考回路が、もう意味がわからん…。

LGBTQに対する姿勢(理解増進法)も同じだなぁと思った。

 

まったく…溜息。

この国の歴史が、一部の人たちによって都合よく書き換えられる行為を目の当たりにし、恐怖に震え、怒りを共有する私たち。そして一緒に怒れる仲間がどれほど救いになるかと実感する。暗闇に灯る炎の様。

砂川さんと知り合って、何度もこんな時間を過ごして来た。落ち込みながら、共有し、励まし合ってまた前を向く。