オープンに生きること
ブログ オープンに生きること 私は2013年の第一回ピンクドット沖縄で共同代表を務めて、自分のセクシュアリティーを公にしました。 その時は、「引き受ける」という感覚が強かったなぁ…今もその気持ちはあるけれど
「レズビアン」と発する時の緊張は、いくらか軽くなったと思う。
引き受ける前は、ずーーっと「私は私」で通していました。陰で「レズ」という声も聞いたこともあったけれど、聞こえないふりで、私は私と言い聞かせていました。
カテゴリーに入れられて、揶揄している人たちの勝手な想像に押し込められるのから逃げていました。
80年代だったか、テレビのアメリカ特集で、サンフランシスコのゲイタウンの様子が流れたとき、ゲイとは「同性愛者全般を指す名称」と説明が出ていて、私も「ゲイ」と言いたいなぁと思っていました。でも、日本では「ゲイ」は男性同性愛者だけを指している、だから、やっぱり私は、「私」としか表現できなかったのです。
「レズビアン」と発する緊張感が軽くなってきたのを
ちょっと前まで「馴染んできたから」と表現したこともあったけど、ちょっと違うなぁと。
それは社会的に認識があがったからだと思う。
「レズビアン」という言葉が持っていたネガティブな(ほとんどエロ目線のことばかりw) イメージが、少しでも減っていっているなぁと感じたから、プライドが湧いてきたのだと思う。「引き受けたレズビアン」から自分のプライドに変化していったのだと思うのです。
しかし、レズビアンていまだにゲイと違って、言っちゃいけないような、口ごもってしまうような名称あつかいで。
ちゃんと「レズビアン」って言ってくれる人は、わかっている人だ。私達のこと尊重されているなぁと感じます。最低なのが「レズ」と言い放ってしまう人。
「おい!おんな!」って言われたみたいに感じます。あんまりそういう言い方しないよね?
「そちらの、女性の方」って声かけるでしょ?
当事者でも「レズです」「レズだから」「レズ」っていう人もいるけれど、私的にはそういう方とは、距離を置いてしまいますw