よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

違う見え方に意識向けて

 

 

だいぶ遅くなりましたが

明けましておめでとうございます

今年も宜しくおねがいいたします

 

さて、今日の上のタイトルは、2014年に沖縄タイムスの『性のはなしをしよう』という連載に載ったエッセイのものです。

ちょうど一週間前、沖縄の行事「ムーチー」で、そういえばエッセイに書いたよなぁと思い出しました。その文章を元に思ったことをちょっと書いてみます。

「ムーチー」とは旧暦の12月8日に行われる厄除をして健康祈願う行事です。餅粉に砂糖(黒砂糖とか紅芋粉とかも)、水を加え練って月桃と言う植物の葉にくるんで蒸したお菓子というかお餅。それを家の神様にお供えします。

 

 

掲載された文↓

―――――――――――――――――――――

違う見え方に意識向けて

 

 

私がものごとをみるときに強く影響している視点が二つあります。一つは自分が性的マイノリティ―であること、もう一つは女性であることです。その視点は、私の中にあるフィルターのようなもので、映画や小説、物語に触れたときにスイッチが入ります。

 それは沖縄の民話に対してでもそうで、その一つに「鬼ムーチーの話」があります。もともとこの民話には、さまざまなバリエーションがありますが、最近は、「ムーチーの日の由来」としてこども向けにアレンジされたものが語られているようです。

 しかし、私が初めて祖母から聞いたこの民話は、とても衝撃的な者でした。そのあらすじは、つぎのようなものです。

 昔、兄と妹がいました。兄は村を出て洞窟に住みつき鬼になり、村人までもさらって食べるようになってしまいます。そこで妹は鬼になってしまった兄を退治しようと決め、餅をつくって兄を誘い出し、崖の上で一緒に食べます。兄には鉄入りの餅を食べさせ、自分は普通の餅を食べます。鉄入りの餅を噛みきれない兄は、餅を平気で食べている妹に驚きます。そのとき兄は妹の着物の裾からのぞいている性器に気づき「その口はなんだ?」と尋ねます。すると妹は「上の口は餅を食べる口、下の口は鬼をかみ殺す口です」と言って着物をまくり鬼である兄に迫ります。それに驚いた兄は飛び上がり、足を踏み外し崖から落ちて死んでしまいました。

 妹が鬼になった兄に迫る場面は、鬼の怖さより恐ろしい姿で語られることもあります。

この話を聞いたとき、私は、女性としての自分の体が、このように語られていることに驚きました。今となっては、この話は、女性自身の体の一部に嫌悪を抱かせることになるのでは?と感じたりもします。

 ミソジニー女性嫌悪)という言葉があります。これは女性自身も内面化しがちなものですが、この物語にそれを感じずにはいられないのです。

 

―――――――――――――――――――――

 

久々にスクラップしてあった記事をみて、もっとキッツイ言葉で語りたかったはずなぁとその時の自分を想いました(笑)

 

さて、最初のほうに書いてある視点について。

自分の性自認を自覚してから聞くこの物語は、性的マイノリティーである自分の感覚のおかげで、物語の「兄」は何故洞窟に住まなくてはいけなかったのかという気持ちの方がまず湧きました。何かの原因で村八分にされたかもしれないと。

村という小さな社会では、ちょっと変わっているというだけでも弾かれる。病気であっても厄介者扱いされたり、小さい社会なのにもかかわらずその小さい社会基準を満たせないものは落とされ切り捨てられていく…。もしかしたらセクシュアルマイノリティ―だったかもしれないとも考えた。

私は、性自認は物心ついた時にはあったので結構早くからこの「兄」のことで心が痛かった。

それと、もう一つの女性であるという視点は、もっと幼いころからの気持ちで、記事にも書いてあるように下の口の件は幼い私には衝撃だった。

子供心に鉄も噛み砕くようなギザギザの牙がついている様が頭に浮かんだり自分の体についている性器は両足の太ももの付けにあって挟まれるように縦に割れているのに、どうやって噛みつくんだろ?と想像したりもした。

女性自身の体の一部に嫌悪感を抱かせることになるのでは?と書いた。だってミソジニー女性嫌悪)だよなぁと思うんだもの。

「鬼(悪いもの)を退治できる素晴らしいパワーを持った女性(器)!」とはならない物語だよなぁと思う。鬼の兄を身内である妹が殺す…形を変えた名誉殺人だとも思う。

小さな社会の中で閉鎖され抑圧され膿んでいく様子を想像してしまう。

 

ムーチーの日。

 

ここまで書いて、ムーチーの日を楽しみにしている甥っ子姪っ子たちに悪いなぁという気に…w

でも私の妹も「鬼ムーチーの話」は怖かったしミソジニーを感じるといっている。ムーチーの話は上の男の子には怖いバージョンで話してあるようだ。もちろんミソジニーのことも。

下の女の子(まだ小学低学年)には、その子が学校で聞いてきた「ムーチーの日の由来」のままにしてあるはず。もうちょっと大きくなったら怖いバージョンも教えてあげよう。

 

今年も「ムーチー作ったよ~♪」とアチコーコーのムーチーを届けに来てくれた。つくっている時の様子を楽しそうに話す甥っ子姪っ子をみると、ムーチーをおいしく頂く日ということにしとこうとなりました。