佐喜真美術館で国吉清尚作品展があると聞いて、
やっとこさ行って来ました。
佐喜真美術館は比較的近い距離にあるにもかかわらず、
まだ日にち大丈夫だから…明日にしよう と、のんびりしてたらあっという間に時間が過ぎてしまった。
わたしが、国吉清尚さんの作品に出合ったのは1996年だったかな。
当時私は、平和通りにある大見屋という民芸品の店にちょくちょく顔を出していました。(焼き物を見ながら半分以上は店主とおしゃべりw)
その頃、大見屋さんの店主は、平和通を面白い場所にしたい!と動いている方で、いろんな仕掛けを企画していました。
その中の1つが、国吉さんの展示会でした。
「今度、こんなのを企画してるんだけどねー」と、まだ構想段階の話を聞いたのを覚えています。(詳しい記憶はあちこち消えてきてるケド)
空き店舗をギャラリーとして使い展示する、これまでと違う展示にしたい。
作品の壺にはリアルに泡盛を詰めて、会場に来てくれた人に、酒、料理を振る舞う…たのしそうに話してくれる店主。
この話のあと、ほどなくして「国吉清尚酒器展」が実現されました。
泡盛を満たしてスタンバイされた壺。竹の柄杓がセットされていた。
国吉さんの作品は、他にはない独特で、荒々しくみえるけれどやさしい手触りがあった。触って確かめることも出来たのだ。穴窯でやいて自然にかぶって出来た色。
形も面白い。焼しめた赤黒い肌。珪石による象嵌は白く光って石ではない別のものに見える。一度見たら忘れない作品だなぁとおもった。
この展示会には多くの作品が並んでいたな。
今日の佐喜真美術館での作品展は、懐かしい器たちとの再会だった。
「おお懐かしい!元気だったか!」と声をかけた。
でも、触ることは出来ない。器の厚みを感じることも出来ない。
さみしく思い出しました。
あのころ、私がその場にいたのは不思議なことだなぁとしみじみ思う。
たまたま入った店の店主話すようになって、あれこれ希望や夢を聞き、いいね!と、楽しい試みに私も参加して。
あの時の自分がいたから、この思い出がある。
いまも手触り、厚みは思い出せる。たいせつな記憶だ。
国吉清尚1943年首里に生まれ
1964年からやちむんをはじめる
1999年5月 死去。