もう何年も、足が向かなかった場所。
それは私の海…私が生まれ育った地域にある海。
その海が私の一番行ったうみで、この海の記憶が一番多いし、愛着がある。
だから、見に行けなかった。開発される過程の海を見ていられなかったから…
記憶の中にとどめて、景色を上書きしたくなかったから。
この海に、那覇軍港が移設されると決まったと聞いたとき、どんなに落ち込んだか。
受け入れを決めた市長や行政を恨んだか。その人を選んでいる人々と、おなじ場所で暮らしているということを苦く思ったか。
受け入れを決断した人は行政から離れてしまえばただの人で、決定はもう取返しはつかないわけで、その人は亡くなってしまえば、決断した責めからも解放されるもんなぁ と、ぼうっと考える。
こういう取り決めは、決定されてもすぐ動くことは無くて、でも確実に進められる。
決定されたときも騒ぎはほとんどなかったと記憶している。
メディアで軍港移設に関することとして取り上げられてはいたけれど、海を埋め立てて開発という名の破壊をすることでは騒がなかった。
だいぶたって市長も変わり、海のある地域の人の中に、この海のことを気に掛け大切な海であると発信する人も出てきた。地域の人たち子供たちで、海の生き物観察会をはじめたり…。
そんな動きを知っても、私の思いは、「でも、いまさらもう遅いんだけどね」と腐っててw。
まぁでも、その地元の動きで、メディアも地域のこの取り組みを取り上げるようになった。
子供たちが、その海でつかまえたいろんな生き物の写真も載せた観察会の記事。
それは、市を動かすことへつながった。
市長は、全国初の<里浜条例>をつくった。
メディアでは「カーミージー周辺を保全・活用するため、浦添市が全国初の「里浜条例」を策定する見通しになりました」とつたえた。
私も以前、GRADiメルマガでこの海の開発破壊のことを書いた。
「条例ができた」「出来ないよりいい」と書いたっけ。
でも、やっぱり<保全・活用>だもんなぁ
きっと活用が主でしょう
壊すことが前提の。
前置きのつもりが、ながーくなってしまった(苦笑)
何を書きたかったって、先日その海へ行ってきたのです。
ずっと前に訪ねたときより、海付近の道は、大きな道路に変わっていて、場所もだいぶわかりやすくなっていた。なんと仮設のトイレと水道までつくられていた。そのうえ最近、駐車場まで整備されていた!
車が通る道から海岸まで歩くのですが、今はフェンスで囲われて車の乗り入れを拒みます。
車を停めて、脇道を行くと、トンネルがあって、そこを出るといきなり草がボーボーw
草むらの中についた一本道を歩きで海岸に向かいます。
フェンスは気持ちいいものではないけれど、まえよりひっそりで、いいと思いました。
昔、海岸まで自由に車が乗り入れられていた時代もあったし、車捨てられてたしねぇ
ゴミも、海を守ろう活動のおかげでゴミも、おどろくほど少なかった。
海岸はどちらかというと、これが自然の海岸と言う風になっていた。
これがなにより救われる思いでした。
波の音と風の音、ひろがるブルーだけを感じていると、
これでいいんじゃないって気になってしまった。
好きな場所だったけれど、自然を守る意識の低かったゴミがあちこちあって悲しかった幼いころのあの海より、今の方が断然良いじゃん…と。
ほんとにそう思った。
一瞬、
マジックにかかった。
だって海が、きれいだったんだもん穏かで、キラキラと、いい音でさ。
これまでの自分の悲しさや、憤りを越えるマジック。
なるほどなぁ こうやって人の心は動いていくんだなぁと感じた。。
それは、軍港移設受け入れでこの海岸に関心が向いたからってなるわな
すこし時間が経って、那覇軍港受け入れをPCで、検索した。
マジックは解けた。
すんなり。
残ったのは、私が一瞬で経験したあの感覚。
理想や自分の中で固まっていたイデオロギーでさえ
現実を見せられると180度ひっくり返される可能性があるということ
この軍港移設、受け入れ側市長が受け入れのための「市の開発案」を提示したことで、県と那覇市との話し合いが、長引く感じになっている。
もめてできるだけ長引けばいいのに…と思う。(そんな都合よくいかないってわかってるけど)