ニュースに書かれてあった
<裁判長は「アウティングが人格権ないしプライバシー権等を著しく侵害する許されない行為であるのは明らか」と言及した一方、一橋大学の安全配慮義務違反は問えないと、遺族側の請求を棄却した。遺族は上告しない方針>
<判決を受けて、遺族側は上告はしない方針だと述べた。その理由について、原告代理人の南弁護士は「遺族は、一審では全く触れられなかった『アウティングが不法行為だ』という点について、裁判所に認めてほしいという想い」があり、不法行為だと判断を示す今回の判決は「意味があった」からだと話した>
彼が犠牲になったのだ。
こんな犠牲が必要な世のは今すぐ滅びてしまえ って、思う…
彼の犠牲が無ければこんな裁判もなかったかもしれない。
そしてアウティングが恐ろしい行為だということも知られなかったかもしれない。
私も活動をしてきたので、一歩でも前進することが大切だと知っている。
大きな労力で、小さいけどスッと遠くまで届く光を得る時もある。
でもそれを得たとしても、その時の悔しさや虚しさは忘れることはなく、傷として残る。
一つを得るために、私の心は死ぬのだ…。
彼のご両親も、この判決でまた心を斬られたんだな…
殺人的な行為を問題としないって、
そんな前進、何の救いにもならないじゃんか!って思うんだよ。
生きていて…オープンに生きられる社会に彼と一緒にいたかった…
当たり前に「アウティングって人権踏み潰し人を殺す犯罪だよ」って意識の社会に一緒にいたかった。
私たちはカナリヤだ。
でもカナリヤが死なないうちに気づくべき。
カナリヤの鳴き声は素敵。
癒しのその声は生きてこそなんだよ