よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

矢のように過ぎていく

 

何もせず家に籠っていても、時が過ぎるのが早い。

おかげで、「今日も何もしなかった、できなかった…」と嫌になる

出来ることも限られているのでしょうがないのだけれど、

やっぱりダメージ大きいこともある。

 

今回このコロナ禍の中、父親が緊急入院したのがつらかった。

 

新型コロナ感染が広がりはじめて、パートナーと

「明日は私たちかも。もし感染したら引き離されることになって、

志村さんのように送られる、そんな別れになってしまうのだ」と超不安に飲まれそうな時に、父親の入院。

 

4月のはじめだった。

沖縄での感染者数が伸び始めていたころ、きっつい胸の症状で救急外来へ。

肺や胸に水が溜まっていて呼吸ができにくくなっていた。

そのまま入院となった。

 

父が救急外来に行ってると聞いたとき、前の日に、電話越しに「しっかり食べてね!」と言った私に「わかったよ食べるよ」と交わした音が頭の中にぐるぐる流れる。もう会えないのかもと思うと、ちゃんと言葉を大切に伝えればよかった、もう一度ちゃんと…ということばかりが浮かんでしんどかった。

 

父は一般病棟へ入ったが、そこで処置中に急変、即ICUへ移った。

意識は戻って、酸素マスクで呼吸をサポートしてもらっている画像を後日見てほっとしたなぁ。心不全だった。

 

病院はコロナ対策で面会も出来なくなっていたし、付き添いの弟も着替えを渡しに行くだけ。それも守衛の人に渡す感じで。

父には面会も出来ない状態だから病院にお任せするしかない。

どんな様子かもわからないのはつらかった。

 

 

83歳はじめての入院がこんな時でいろいろ危なかったのだ。

 

身体に溜まった水も順調に抜けて、

詰まった心臓の血管を広げるカテーテル治療をして、

先日退院してきました。

 

しかし、その入院で隠れていた疾患がみつかったのです。

最初の救急外来の採血で異常を見つけてくださったドクターに感謝です。

心臓の治療と並行して血液の検査をしてくださった(この病院で出来るだけの精密検査をということだった)

その結果を持って血液の専門の科がある病院へ繋いでくれたのです。

今日父親は入院します。

二週間の予定。

 

また入院、その前に父に昨日会ってきました。パートナーも一緒に。

私のパートナーは父のお気に入りですから、彼女からこれからの入院治療頑張ろうね!と応援してもらいました。

うんうん 頑張るよと言ってくれました。

今回ゆっくり3人でおしゃべりできた。

 

会うといつも「あと十年は生きていてもらいたい」と言うんだけれど、

もう三年以上まえからそう言っているw

そのつどあと十年ってのばしてこーと思ってる

 

緊急入院、心不全、危ない時もあったけれど、また言葉を交わせているのは

奇跡だとおもう。

 

私が10年以上も前に、緊急透析で命を取り留めたことも奇跡だと思っている。

 

小さい奇跡があちこちで起こっている

私が生きている

その奇跡の重なりの上に