前回のブログで「沼」と表現したけど、
「沼」ってテレビ番組のタイトルとかにも使われているんだなぁとおもったり、
ネットの世界でも使うのねと知った。
今、私の想像する沼はこんな感じ
沼からボコッボコッと気泡が上がって、プスッとはじけ中に入っていたガスが放たれる。コロナ禍の中で沸いた闇(病み)のガスというかんじ。
その沼って、映画の『ネバーエンディングストーリー』で、白い馬が沈んでいくシーンを思い出す。
主人公の男の子と親友の馬が沼を渡るが、気づけば馬が足を止め、沈んでいく…どんなに男の子が励ましの声をかけても動かない。
渡るものが悲しみと絶望を憶えると沈んでしまう「悲しみの沼」
思い出して書いていても泣けてくる。
私は絶対この沼に捕まってしまうひとだ。自信があるw
悲しみの沼はあちこちに口を開けていて、コロナ禍で勢いづいている。
コロナ禍で聞く「トリアージ」と言う声。
はじめこの言葉を聞いたのは確か阪神淡路大震災での様子を伝えるリポートで、大地震大災害でどうやっても救助の手が回らない助けも来ないという状況下ギリギリの、それも救助の現場を維持することも危うい時に使う最終手段だったように思っていた。
でも、最近は救急救命ドラマの中での見せ場(大規模災害の現場という設定)に使われていたな。決断する辛さを乗り越えるカッコよさみたいな…。
そして何か月か前、新型コロナの猛威がヨーロッパを飲み込み、イタリアの医療現場はまさに最終手段を使うしかない状態になったと、ニュースは伝えていた。呼吸器をつける人のトリアージだ。
それに関連するリポートで、
「高齢の自分より、若い人へ使って」と言った感染者の話も伝えられた。
感動的か?
人の命をやり取りする話を、サーッと流す感じのリポートで流すなんてと思った。
ゾッとした。そして私もそう言うのだろうか…と考えた。正確には私もそう言わざるを得なくなるのかと。
~~ここまで書いて、もう折れてしまって書けなかった。あまりに残念で。
さて、ここ一週間くらいで地獄化は進みました。
とうとう沖縄は感染爆発を起こし始めた。
ここでは「重傷者患者を集中して救うため」というセリフを盾にしてこのまま突き進むようだ。
濃厚接触があっても症状が無い場合は、検査はしない。自宅なりで自粛して様子を見るようにとのことだった。
おお ひどい。
どんどん感染は広がっていくだろう。
人々の心には疑心暗鬼が渦巻くだろう。憎み合うだろう。
希望も持てなくなると、人は死ぬ。
沖縄はもうだめかもしれない。