よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

昭和な空間に

 

ちょっと前にネットで、おすぎさんとピーコさんが現在どうしているのかという記事を読みました。そこには「認知症」「老老介護」という文字が並んでいて、心が痛くなった。

そして今回、その後の記事を読む機会があって、以前の記事の時より心が痛んだ…それと、一人で生きて来た人の心の強さが伝わってきて、凄いなぁと思ったのでした。

どんな状況になろうとも、「他人に迷惑をかけたくない」という心情は消えないのだと(元気な頃からピーコさんはそう語っていたと記事にありました)

 

もちろん、弱みを見せたく無いという気持ちもあるだろう。老いていく過程なら、身体も心も弱ってしまった自分を他人に見られたく無いという気持ちも強いだろう。

他人を頼りたくないと意固地になっていることもあるだろう(私も50を過ぎて、その年代の複雑な気持ちがジワジワ染みてくるのを実感している)

そして、セクシュアルマイノリティの人たちには(他のマイノリティの人もあると思いますが)マジョリティのような当たり前のサポートは受けられないという思いや諦めがあると思う。

だからホントにギリギリまで耐えて頑張ったり、認知症が出たがサポートがうまい具合に届かず、心身の状態がしんどい方に急速に進んでしまったりもあるだろうと。

それは一人で暮らす人でもパートナーと暮らす人でもだ。

 

記事を読み終わると、昔、おすぎさんの映画紹介の話を聞くのを楽しみに沖縄ジャンジャンに通っていた頃を思い出しました。

たまにピーコさんがゲストで出たり、永六輔さんといっしょだったり、私のジャンジャンの思い出はおすぎとピーコさんだなぁ。地下に降りていくあの雰囲気。もう二度と戻れない時代だなぁ。

 

頭の中にピーコさんの歌う「誰もいない海」が蘇りました。ピーコさんが目の手術をした話、おすぎさんが助けてくれ感謝しているのよと語っていました。

義眼の話、サングラスをかけるようになった話、サングラスでTVに出ると視聴者から、態度が悪い等の文句があったという話も聞きました。

病気をして片目を失い、命拾いしたんだから、夢だったシャンソンを唄っていこうと思っていると話し、ちょっと照れながら「今日はここの皆さんに、まだ練習中だけれど聞いてもらいます!」と言っていた姿を思い出します。初めの歌い出しは声は震えていました。でも、「海に約束したから、つらくてもつらくても死にはしないと」と歌う時には力強かった。決意が感じられました。

曲は知っていたけれど、ちゃんと聞いたことがなかった歌でしたが、この時から私もこの歌を心に留めようと思ったのでした。今も、自分を静かに励ます曲です。ピーコさんからもらった指針のような感覚です。

 

LGBTQで、老いや将来自分らしく終わるというロールモデルが無いと言ってもいいくらいの時代に生きた人…私もそうです。

おすぎさんやピーコさんみたいに有名になった人でも、しんどいってことだよなぁとしみじみ思う。

たぶんこのままの社会じゃ変わらないなぁと暗くなる。世の中、LGBTQに関する事柄は進んだとはいえ何の安心も確かでは無いんだから…