よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

GRADi メルマガへ の文

 
 
砂川さんの発行しているメルマガに書いた文を転載します
 
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「『ハイサイおじさん』に思ったこと」
 
 
先日NHKで『名盤ドキュメント「喜納昌吉&チャンプルーズ~沖縄から世界へ“ハイサイおじさん”の衝撃」』の再々放送?を観た。一年前にも放送があってその時も観た。その時もブログに書きたいなと思った…しかし、内容が濃くていろいろな思いが頭の中に溢れて、とっちらかってしまい断念したのでした。
そのことを砂川さんに伝えたら「一度に書くのが難しければ何回かに分けて書くといいんじゃない?」と、そうか!分ければいいんじゃん!ありがたや~アドバイス
でも、メルマガ原稿明日までというw
なのでこのドキュメンタリーで「なるほどなぁそうだったんだ」と思ったことや語られることからかんじたことを書こうと思います。
 
沖縄といったらこの曲というくらいの「ハイサイおじさん
高校野球の沖縄応援の曲、志村けんさんのギャグ「変なおじさ~ん♪」とかもw
凄く認知度上がったよね。
明るいにぎやかな曲。
でも私が子供の頃、この曲や喜納昌吉さんのことについて周りの大人はネガティブな感じだった「あんまりいい曲じゃない」と言っていたのを覚えている。
私も子供心にこの曲を聞くとなんか不安になるなぁ…この歌あんまり好きじゃないという感じだった。
今ならわかる。ただ明るいだけではないちょっと狂気っぽいものを感じていたのだ。
このドキュメンタリーの中で昌吉さんの母親が本当は歴史的な怖い歌、哀しい曲、でも昌吉は明るくつくってあると語っていた。
この曲が実は昔起こった悲惨な事件を元にしているということを知っている人は少なくないだろう。
精神を病んでしまった母親がを自分の子を殺めてしまった。その夫がモデルになっている…という話。
私もそれは知っていたけれどしっかりとした情報がないままこの曲を耳にするたびどんな背景があったのだろうと思っていました。
「狂った母親、七つの娘を惨殺」のと見出しがつけられた事件だった。このことについては当時の新聞記事で知ることは出来るけれど、喜納さんは惨劇が起こった直後にその家を訪ねていて、死んだ子供が寝かされているのを見たのでした。喜納さんが訪ねて行ったら子供が毛布を掛けられ寝かされていて足だけが出ていたと、喜納さんがその毛布を剥いだところ首の無い遺体があったと…。どんなに大きな衝撃だっただろう。
この事件があった家の主が「ハイサイおじさん」のおじさんのモデル。喜納さんの近所の人だった。
喜納さんが事件に遭遇した時のことも語られていた。たぶんそのことを聞いた人達の感覚が「怖い」だったのだろうと思った。それが広まり時にホラーチックにささやかれているんだなぁと思いました。
 
戦後まもない沖縄は精神を病む人も多く、おじさんもアルコールの問題を抱えていた。事件を起こした妻も病んでいた。
そんな中でおじさんと喜納さんの交流はとてもやさしく、暗い沖縄の片隅に咲いた小さな花の様でした。
「この人が不幸な背景を持っているとか何とかはなかった」「今のこの人と付き合っている」と。あの事件はおじさんが生んだ事件では無いとも語っている。
「歴史がおこした事件」なのだと。
曲についても喜納さんは「おじさんの曲を作ってあげるね」と言ったこと、そ
して曲は一瞬にして降りてきたことを熱く語っていた。
 
私は「ハイサイおじさん」も喜納昌吉さんも何だか狂気を感じていたけれど、このドキュメントを見て ああこれはポジティブな狂気だったんだなぁとわかりました。安いホラーなんかじゃ全くなく。
沖縄の闇をのぞくのにもいい番組でした。
何度見ても発見があると思う。
またこのドキュメントのことを書こうと思います。