昨晩開票作業のライブ配信をギリギリまで見ていました。朝には当選しててよ~と思って床についたのですが
今回初めて那覇市議に立候補した畑井モト子さん、惜しかったぁ
1000票台まで行ったのに悔しいだろうな
で、朝、みつけた沖縄タイムスの記事
「怖かったけど、初めて本当の自分を出せた」LGBTQだと公表した候補 那覇市議選で及ばず涙
またか…あいかわらず新聞の見出し、良くないなぁと思った。セクシュアルマイノリティ―を取り上げる記事の見出し、何年たってもこの認識レベルなのはなぜか?と溜息が出る。
「LGBTQだと公表した」って…w
記事のはじめの方にも<LGBTQ(性的少数者)>とかいてあるし、大雑把にあしらわれているなぁと思う。LGBTQってそれぞれのセクシュアリティーの頭文字をを集めて総称としているものなのに…
レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クエッチョニング/クィア
それとも、もうアタリマエにそのことを一般市民は知っているのか?
そんなこと無いなw
読者の目に留まるように「LGBTQ」の文字を使ったなら…だとしたらやっつけ仕事(見出しつけること)で、消費されるセクシュアルマイノリティーを思うと悔し涙出る。
そして、ほんと要らない文!とおもうところがあった
記事の中に畑井さんは自分の性自認について性自認は、定まっていないとしてタイムスのアンケートにも「どちらでもない」を選んだと書かれてある。
この性自認に触れる文の前に<体は女性だが>と相も変わらずの文があったのです。トランスジェンダーの人達にも負担のあるこの言い回し、Xジェンダーとかクエッチョニングまでそうなんだよね。
枕言葉的に持ってくる。いちいち「体は~」と書かなくても意味も伝わるのに。
読者にわかりやすいように、間違って伝わらないようにってか?それなら新聞メディアが率先して「紙面では本人の性自認を尊重した記事を出す」をしていってほしい。
トランスジェンダーの人達は自分を語るうえで必要な時、負担も考えつつその説明を入れるでいいと思う。いつまでも<体は~なのに心は~>という枕詞がつく記事じゃ嫌じゃないか。
と、セクシュアルマイノリティーについて書かれた記事はとっても大事なんだよといいたい。影響力もあるよと。