首里城は、あなたが若いうちに再建されるからねと、めいっこちゃんに言ったけど…
地元の首里城再建への寄付運動の凄さ、こんなすさまじい(言い過ぎかw)寄付運動は、私の記憶には無い。
地元メディアは全て寄付の口座を開設、市役所やその出先の施設とか、
街の店先でも、募金箱がないとこが無いんじゃないかってくらい。 クラウドファンディングでも、ふるさと納税でも寄付できる。 集まった金額も相当だ。
凄い!どんどん増えていってる。
みなさんこんなに気持ちがあったんだねと感心している。
しかし…なんか違和感もあるのよね 首里城、私たちの寄付で再建するべきものなのか…と。
もちろん寄付だけでは無理だと思うけれど。
90年代の半ばころだったか、首里城が完成間近のころだったかな?
寄付を募っていたのを思い出した。
寄付した人の名前を赤瓦に記載して、首里城の屋根を葺くときにその瓦を使い納めるというものだった。
一口一万円だったかしら。
その寄付のことを覚えているのは、一般市民が首里城の建設へ参加できるんだなぁと思ったのと、私も参加しようかなぁとも考えたから(結局締め切りがあって出来なかった)
そして首里城建設が一般市民の関心ごとでは無かったように思う。
時代は変わり、
首里城はウチナーンチュの力で再建を!…
私のモヤモヤな気持ちは集まった金額が増えればそれだけ増す。
最近は、行政の責任や役目より自力で。
出来ることは自分達で(確かにそうなんだけれど…)
大きな災害でも、自力+ボランティア
五輪のスタッフもボランティア(国は相当あてにしてるよね)
国やその地域の行政の責任より「市民の力で」が当たり前になっている。
これでいいのかなぁ
LINEを開いていて、飛び込んで来た地元新聞のニュース。
首里城近くで育つ小学生の話、好きな首里城のために…9年間貯めたお年玉を全額寄付したという内容の記事。
その子の行動に父親も、自分の500円玉貯金を寄付したと。
あーん、そうかぁ〜と、私は、心が痛みました。
この子の9年間貯めたお年玉の使い道… 純粋に再建を夢見る心で、自らができることを選んだのだ…
こういうニュースが出てきてしまったとほんとに…心が… 正直、残念な気持ちがわいた。
大人は諭さなかったのだろうか、大丈夫だよと。
きみの貯めた大切なお金だね、ありがとう気持ちだけでと。
それでも絶対寄付したいというなら、その子の気持ち大切にして、小学3年生が普段持ってないくらいの、でも「全額」には遠い額にしようよと提案することもできたはず。
もし私のおいっこめいっこが同じように行動したら、止めるだろう。
気持ちの伝え方使い方をこの機会にじっくりお話するだろう。
寄付する心はとてもたいせつで、
世の中には他にも助けを必要としているところが
あるということを知らせる機会になるだろう。
その上で、心の向くところへ寄付をと。
テレビでは寄付をお願いするCM,新聞紙面で寄付することへの賛美。
社会の雰囲気が、子供の心に影響を与えているんだ。
寄付をした子が『首里城いつできるかな』
『いくらでできるかな』といつも話している。と書かれていて、『面白い首里城ができたらいいな』とも語っていた。
『面白い首里城』 この子の 素直な気持ちが表れているなぁと感じた。