よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

見えないのか見ないのか

 

 「否定はしていませんよ」と、ほんの何分の間に何度聞いたか。
それは私達セクシュアルマイノリティの存在のことをだ。
それでも私が否定されたように感じたと言ったのに対しても、

同じ「否定すると言うことではないですよ」と。ちょっと柔らかめにして。

納得させようと繰り返すその言い方は、ああ、しれーっと圧をかけるパターンだ…と思った。本人はそのつもりは無いというだろうなー。

そして議会議員にも「多様な意見」があると言う…

「多様」か…何回か言ってたな。
ああこれも用意して来たんだなぁと思った。

この人達の多様な意見はいつも通る(通ってきた)意見なんだろうなぁと思った。

 


私たちが大切にしている言葉(心)を使ったやり方にため息が出た。

その人の目は、私を見ていないように感じたなぁ。
そもそも私の存在を議論する人たちだからなぁ 
議論してそのうえで私達の存在を消しちゃえる人たちだからなぁ(言い過ぎかw)

とにかく、そのままでは私の心は死んでしまうので、あなたのそばにもセクシュアルマイノリティは絶対にいると言う意味のことは言った。

見ていない彼の目に、ちゃんと目を合わせて。

自分の心を無駄死にさせたくなかったから。

 

と、上のことは、宜野湾市の「男女平等多様性尊重条例」否決に抗議する署名を届けた時の私の感じたことでした。言葉が通じないのか?と思うとこもあって、ひどく疲れました。

 署名のことだけではなく、いろいろ考えることもあって、それがいっときに押し寄せて、自分の気持ちを外に(人の目耳に)出せなくなっていました(います。かなw)

 

 話がそれましたが、
宜野湾市議会で否定した議員はきっと変わらないしその人たちを推している人たちは同じ意見か自分の周りを見ない人なのだろう。
だから賛成した議員を忘れてはいけないなと思う。

署名をくださった皆さんもいる!
進めたことは後退しないはず!消えないはず!
つながる心はあるはず!っと。

 

<見る、目を見る、見ない>などなど、

書いちゃっていますが、実際の動作だったり表現の一つだったりですので伝わりづらかったらすみません