夏時間、5:45~6:10までに愛しのクロちゃん(うさぎ)に起こされる。
クロちゃんは自分の食事用の皿をカッシャンッ、カッシャンとぶつけて起きたよーと合図する。
で、私が反応しないと今度は部屋の柵をかじり始める。
私はクロちゃんの部屋の出入り口に、遊び場用のサークルを合体させて、部屋から出す。
おめざとして10センチくらいに切ったセロリをあげる。
それから植物たちの様子を見に行く。
明るくなっているけれど陽が射す前なので、気温も高くなくさわやかなひと時。
植物たちは毎日変化があって飽きないのだ。
昨日は姫ギボウシが咲いた(署名を当たり前よ!と言ってくれた友人から貰ったもの)紫の素敵な花。
今朝はキバナノヒメユリのつぼみが顔を出していた。
癒される。
盆栽の先生を思い出す。出会ったときには既におじいちゃん先生だった。
亡くなってもう何年たった?
私がセクシュアルマイノリティーの活動を始めて教室に行けなくなって…もっと聞きたいことあったな。
でも、いま植物を一応育てられているのは、おしえておもらった基礎的なことをやっているからだ。それが先生の教えるすべてだったかもしれないなぁとも思っている。あとは日々観察して時に失敗しながらやっていく。
草花、植物たちに向き合っているとき、「あ、そうか!なるほど」という瞬間がある。先生は生きている。私にその教えを通して生きているのだ。
細かな具体的な答えは聞こえてこないけれど、そんな時、先生との対話しているようだ。
教室には女性は私1人で、あとは自分の父親くらいの年齢層の男性ばかり。
偏った物言いを聞くことも多々あったけれど、私がその言葉に「え?おかしいこと言ってますよね!」と穏かに、でもチクリと刺すように言えて、先生もそれに頷いてくれる場所だった。先生絶対のオジサン生徒たちw
先生は、自宅で盆栽を育てていてかたわらで教室をやっていた。
先生の妻は足を悪くしていて家事も先生がやっていた。
もう何年もそうだよと笑っていたのを思い出す。
見た目ちょっと怖そうな沖縄オジサンは実はとても柔らかいひとだったなぁ
ほんの数年、先生の傍で手技を見せてもらい、世間話や昔の話を聞かせてもらえたのは本当にラッキーだった。
教室に来ていたオヤジ生徒や盆栽協会の人(同じくオヤジ)たちも「先生」に対しては様様で、私のように近くに寄れて思った質問もできなかったから。
私が女だからということも無く、近所の子供に教えるみたいに楽しく教えてくれた先生に感謝している。