私は幼い頃から自分が周りの人と違うんだと思っていた。
今そう書いて、近所のおばちゃんからお祝いに (七五三とかかな)と綺麗な箱に入ったワンピースをもらった時、
「あ〜あ…」って思ったシーンが思い出された。
一度だけ着た。ありがとうっていうために。
私の服装はズボンにシャツ。メイク無し。
ちいさいころから変わらずで、中高の学校の制服は「仕方ないよねぇ」「ここに居る間だけ我慢だな」と着ました。
しかし女子のスカートは何かと制限がかけられて不利だなーと思っていた。
体育館で集会の時とかスカートを広げて座ると(皆そうしていたから私もそうしてたんだけど)、床に直に座ったお尻は冷たくなって痺れるし、シワにならないように気にしたり風が強い日はめくれるの気にしてさ…と細かいことだけどw
でも、その不利さは幼い頃から慣れさせられるんだよね。
私は制服以外はスカートの時間は、ほぼなかったので(笑)
慣れさせられて無いから不利を感じたんだな。
もちろん「自分がスカートを着たいから着る」のは素敵だと思う。
どっちも選べるのがいいな。ジェンダーバイアス無く。
最近は制服でズボンも選べる学校も増えている。良いことだ。
でもそれって、「スカートだけでなくズボンも選べます」だよなぁと。。
女子の制服についてのことで、男子生徒がスカートを選べるって伝えているのでは無いよねと受け取っている。
制服、無くても良いよなぁと思う。
さて、ズボンにシャツ、ノーメイクの私はスーパーに買い物に行ったらたまたま居合わせた沖縄抑圧オバーに「はぁっさ!男みたいさ!」と吐き捨てるように言われたりする。
見ず知らずの人に言われるんだもん。
だから察知して心構えをする。たぶんセクマイの人はそうしがち だよね。
抑圧をかけて来そうな人の雰囲気を感じとるセンサーがあるんだな(笑)
そしてそう感じるときは、素早く、出来るだけその人が発する声や言葉が脳に入ってきても受け取らないように、脳を痺れさせとくみたいな。鈍化しとく(苦笑)
だから、そのあと時間差で心汚い言葉が薄ーくゆっくり入ってくる苦痛を少なくするために。
でも、時には吐かれた瞬間に即応して言い返すスイッチの時もある。
外へ出ると気が抜けない。いつもセンサーはオンになっている。
だから何かと自分のことと関連して(セクシュアリティーとか女性であるとか)考えがち な自分。良いことよりマイナスな事柄に対して。
先日パートナーの車が引っ掻き傷をつけられていた。
どこでやられたかはっきりせず。
そんなときも、もしかして「私たちの車」だからやられたのか?と考えてしまう。マイナス思考が回りだす…
前にも引っ掻かれたことがあった。その時も気持ちが悪く心が落ち着くまで時間がかかった。
今回は宜野湾市議たちの発言で、世の中の人の目がこんなに酷いものなのかと感じていたから、「私だから?私達の車だから?…」と考えるスイッチが入ってしまいそうだった。
半押しくらい入ったかw
あの条例案否決の意見もぐるぐる思い出す。
そのせいで気持ち悪さがマシマシでした。
しかし、今回スイッチが半押しでやり過ごせそうです。
ざわつく心だったけれど、
「こんな心が凹むというか、思考が安定しない時、
パートナーは自分の車の傷と私の心の傷のケアで、自分の傷どころじゃないよね と、彼女だって相当ショックだ。」
そう考えられたから。
だから心強く持って、関連づけの思考をしないようにしています。
ちょっとづつ自分がコントロール出来るようになったんだなぁと思いました。
そしてそうできるようになれたのは、力をくれる動きがあったから。
砂川さんが始めた署名のたくさんの賛同、多くの団体が署名して意思表明してくれたこと。地元新聞が2社とも大きい記事で、かなり具体的に問題を示してくれたこと。
それが力を与えてくれたのです。
沈みそうになるけれど、誰かが助ける行動をしてくれる。
そうやって救われて生きてきた。
セクシュアルマイノリティにメンタルの不調を抱える人が多い。
障害を持っている人や持病を持っている人もしんどい。
女性も、抑圧で不利。
男性も男役割にしんどさを感じる人はいるだろう。
誰もが生きやすい社会をめざすことは、当たり前のことだよ。