よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

わたしの闘い

舌咽神経痛①

 

どこから書けばいいか…

まだ私の心の乱れは治まっていない。むしろどんどん乱れの落差が多きく深くなっていく。

 

私が自分の症状からネットで検索をしたとき導き出せたこの病気、思っていたより診療している医療機関や医師側の記事が多く安心したこと、そしてそれとは反対に病気の当事者の声は少なかった。心細くもなったこと。

自分の置かれている状況を声をあげても否定されるつらさを、また味わうことになった。「もういいかげんやめてくれと!」と何度も叫ぶ人生に参ってしまいそうだったことも。

ブログ上にUPするのはためらわれるけれど、記録として残したいと思う。

 

二週間前(3月27日(日)、夕方、突然の左耳から喉の奥(左側の咽頭)につながる部分に激痛が走り(鼓膜が突き破られるのではないかと思うくらいの痛み)悶絶。パートナーも傍で驚きつつ経過を見ていた。

ドキドキしながら息を止め「どうか収まって」と心の中で唱えた。すると痛みは一、二分で消えてくれた。

耳どうしたんだろうと不安になったが、一過性のものかもしれない…更年期関係かもしれんしなぁと話し(パートナーとのやり取り)、様子をみることに。

二時間くらい経って、また来た。アガガガガ…ぐぅっと息を止めて「どうか、どうか…」

唱えながら、「いったいどういうことだ?何が起こっているんだ?」と「耳に不具合なんて起こったこと無いし、突然って…」考えているうちに激痛は去った。

数日前パートナーに耳かきしてもらったけれど何も無かったし、耳かきで傷つけたことも無かったよねと話し、また来るかもしれんと心づもりをしておこうとなった。

そして寝る少し前に3度目の痛みが来た。それは前の二回より少し軽かった。何が原因なのか分からず、軽く左右に頭を振ってみたらちょっとジリっと左耳の奥に聞こえた感じ…ヒッ、やめとこ危ない…。その後痛みは来なかった。

不安なまま就寝。

その日の夜は何事も無く眠れた。

朝起きて、「よかった。今日は何も無く過ごせるように」と祈る気持ちだった。しかし立ち上がり動きはじめたらやっぱり来た。昨日の激痛よりは少し弱くなっているけれど、アガガ…耳をおさえて待つ。数秒で痛みは消えた。

それから2、3時間後にも軽い痛み、頭を振るとギギギと耳の奥から聞こえる感じでちょっと痛かった。でも痛みは数秒で消える…そのあとは何もなかったように元に戻る。いったい何なのか…

最初のネット検索、耳の痛みで検索したら=中耳炎とかがほとんどで、読んでみても私の症状が当てはまらない。

不安なまま過ぎて

週の最初の透析の日、もし透析中に痛みが来たらそれを伝えて担当ナースに相談しようと思っていた。が、幸いなことに痛みは来なかった。家に帰っても痛みは来ず、透析中の体内の変化、血圧の変化にも誘発されないのだったらあの痛みはもう来ないかもなぁと安堵した。

しかし、翌日の午前中、出かけた時小さく痛みは来たのでだった(だいぶ軽かったけれど)

はぁぁん、やっぱり来るんだなぁと不安になった。

透析日(二回目の)、担当医師にこの状況を伝えて相談しようと思った。

ここからが闘い…その日の担当看護師に先日の耳が痛かったことを話すと、その日の担当医師に診てもらうと連れてきたのが、ああ、この医師じゃぁダメかもなぁ…と思った。つい最近入った男性医師でした。それが院長の息子…。

「耳どうしたの?痛いの?」

私は今までのことを時系列に伝えました。「耳だと耳鼻科かねぇ、どうしますか?耳鼻科」

激痛であること、その痛みが消えるとフツ―に戻ることが何なのかと悩んでいることを伝えるのだが、相手もフムフム聞いているのだが、やり取りしていても、こちらが望む「相談すること」は出来なかった。

結局、耳鼻科へ耳鼻科へと紹介状を書いてもらうことになった(もういいや、諦めの気持ちだった)。

私は耳鼻科に行くのはちょっとちがうかもと考えていた。だから「どこの耳鼻科に行きますか?」と聞かれても答えられず、結局、病院の近くの耳鼻科はどうかということになり、流れでそこへ受診予定となった。

その日の透析、痛みは無く終わった。

 

家に帰って紹介状の入った封書を見ながら、耳鼻科じゃ違うよなぁという気持ちが大きくなっていった。

だから、ネットでしつこく探していた。痛みは来なくなっていたけれど、どんなだったか思い出し、耳から離れて<喉の奥の痛み、左側>で検索をしてみたら、あっさり見つかった。

あった!私のことじゃん!と思うくらいぴったり合った症状、痛みに性別や年齢までも。

病名は「舌咽神経痛」

ほっとした。

でもこの病気はとても珍しいものだということも書いてあった。

透析の日(三回目の)、担当看護師は普段から私の話をよく聞いてくれる人だったので、前回、耳鼻科への受診予定で紹介状も書いてもらったが、脳神経科へ変更を希望していること、理由として「舌咽神経痛」を疑っていることを医師と相談したい旨を伝えた。そして、自分が長らく診てもらっている医師へお願いしたいと強くお願いした。それを聞いた看護師も、その方が話しやすいだろうし以前からの体の状態や病気に向かう姿勢も良く知っているはずだからその方がいいと言ってくれた。

このとき持ってきたiPadで看護師に私が探した「舌咽神経痛」を検索して見せた。症状、年齢、性別等、書かれてあることが合致し過ぎだと驚いていた。

看護師は自分の休憩時間にもPCで検索してみたらしく、こういう病気があるんだ!と思ったと言っていた。そして「絶対先生に見てもらえるように書いておくからね。カンファレンスの時にも仲間に言うからね」と言ってくれた。ありがたかった。

 

週が明けて、最初の透析の日。

今日こそ話が通って自分の希望の病院へ行けると思っていた。

なのに…

 

相談したいと指名した医師は、私のベッドの前を何往復もしていたが、とうとう話を聞きに来なかった。

しばらくして来たのはあの息子医師だった。ガックリ…「耳どうですか?」と。

「耳鼻科には行っていません。先日担当のナースに私の希望を伝えたんですが…」という私に、彼は「ああ、でもまず耳鼻科に行ってもらってというかんじかな」「うんうん、希望ね…聞いた。でも、耳鼻科だと思うよ。耳の痛みだし」と言う。

そして「痛みはその後、無いんだよね。痛みがあったのから一週間だっけ」と。

私は彼の言葉を聞きながら諦めていた。やっぱりか、スムーズに行かないいつもの自分の運命にため息が出た。

でも、反射的に出た私の反論「はあ?一週間?経ってませんけど!5日です!」と。

反応できた自分がいる。運命かと諦めてイヤな音を聞かないモードにしていたけれど、訂正させたのだ。自分をよくやった!がんばった!と褒めた。

しかし息子医師は「まず耳鼻科に行ってくださいね。脳神経外科に行っても今の感じだったら、とってくれないと思いますよ。○○先生とも話したんですよ。その意見でしたよ」と言う。

私の相談を希望していた医師も同意見でしたよと念を押して言う。

ガーン「とってくれない」とは?。一瞬でMRIとか画像診断のことだなと私は解釈して「そうですか。」と答えた。諦めと言うより見切ったという感じだった。

そして「先生、では痛みが来たらどうすればいいですか?」と聞いてみた。すると「数十秒なんだよね 痛いの。」と言ってきた。

もしやそう応えるんじゃないかと思っていたが、出た!言いやがった!(怒)

最悪の応えだよなぁと思ったのでした。医者かこいつと思った。

念押し気味に「じゃあその時は我慢してということですか?」と聞き返した私に、まあそうだねという感じ頷きつつサッと彼は去って(逃げてw)行った。

相談したいと希望していた(ちょっと信頼していた)医師にも幻滅した。

でも、即私は立ち返った。

そうだよ、今まで自分が受診したい病院には直に行ってたじゃないか!「とってくれないと思います」って?ありえないだろ!行けばいいんだ!

素早くそう思えた自分は強くなっていると感じた。ネガティブな沼にはまり込まないようにできたんだと。

 

そして次の透析から毎回看護師に「耳鼻科の受診、しましたか?」と聞かれるようになった。そのつど「行ってません。耳鼻科では無いと思うので」「自分で行きます」と答えた。看護師は困った様子。「もうその件については答えないので、行かないと書いておいてください」とちょっと意地悪な返事もした。