よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

見えてくるもの

 

 

しみじみ、ネットニュースや地元の新聞にも「同性カップルの挙式」の記事が載るようになったなぁと思っています。

 

最近の記事で目に留まったのが、当事者の挙式記事ではなくて、高校の授業の一環での模擬授業。そこで行われた同性カップルのブライダルが取り上げられていました。

沖縄県浦添市にある高校。浦添商業高校の国際観光科が、模擬披露宴(模擬ブライダル実習の一環)で同性カップルの披露宴を開催しました。

女性同士の挙式想定で、女子生徒2人がウエディングドレスを着ました。

 

場所は学校内ですが、会場のセッティング、先生などを招待客に見立てて、友人代表の挨拶、2人の幼い頃からの動画も披露されるなど本当の挙式さながらのテーブルもセッティングされて、恩師や友人からの祝福の言葉やビデオレターなども紹介されたとありました。

浦添商業高校の観光科は、数年前からこのような実践的な授業をしていましたが、コロナ禍で中止されていて、そ昨年から再開していました。

今年は各クラスで話し合い先生の指導もあってLGBTQへの理解が社会に広がる現在の状況も踏まえ、同性カップルの挙式にしたということです。

 

へぇと思ったのと、この主役を演じた2人が本当のカップルだったら良かったのになぁと思ったりしました。

まぁでも、このような経験をしたみなさんはきっとLGBTQに対して知ったことも多いでしょう。

この模擬披露宴に関わった生徒たちが、LGBTQへ関心を持ち社会に出て活躍してほしいです。

 

さて、同性挙式の記事やカップルで紹介されている記事も多くなりましたという話でしたね。

喜ばしいことなのですが、たまに聞くのが、同性カップルが挙式をあげることへのハードルが無いような語り。

自分たちの挙式とLGBTQの運動とは関係ない。自分たちは「セクシュアルマイノリティ」という意識はないという感じだったり…

 

すごいなぁ、それを言えちゃうって…と、ちょっと引いてしまう私です。

もちろん挙式やパートナー、子供や家族のことなど個人的なことだからその語りは尊重します。

が、その語りでうっすら傷つく人もいるよなぁと想うのです。

例えば、イベントかが盛り上がってる様子を通りすがりで見かけて、あぁ〜いいねぇ〜と私も拍手で祝福したいと思ったら冷たい水を掛けられた感じ(バシャっと打ち水かなんかをかけられたみたいなw)

 

そんな時、思い出すのが砂川さんと活動を始めた頃、活動に関心を持った人たちが集まることがあって、そこで聞いた当事者の声(女性だと思います)

私たちは差別されていると思わない。だからセクシュアルマイノリティの権利を!と運動することには賛同しない。ということだった。

活動を始めたばかりの私は心が凍るおもいだった。そしてしばらくして落ち着いた頃に考えたこと。

彼女たちは自力で安心安全なコミュニティを作ることができて、その中に居られてるんだなぁと。安心安全な場処を持っているのだなと。

個人の幸せや安心安全を得られることは素晴らしい。それが普通にあることは大切。

でも、モヤモヤします。

 

ちょっとキツイ言い方をしてしまうけれど、その人やその人の周りは住み良いかもしれない。けれど、社会は広いし相変わらず社会的な保障も無い(パートナーシップだって無いよりは良いくらいのものだ)それでは現実は変わらないのだと。

そしてこうも思いました。

自分たちの力でほとんどのことはカバーできる!という人たちはいます。

でも安心な場処、コミュニティを得た人たちも、運動とは関係ないと言っていても、

その人たちが、自分たちの幸せを披露したりすることは、世の中へ何かしらの変化を与えるのです。自分たちの同性カップルの挙式は運動と関係ない、好きな人と挙式をしたいだけ、それは自然なことですと語っても「行動」なのだと思うのです。だってまだ「あたりまえ」になっていない世の中なんだもの。わざわざ記事になるんだもの。

アプローチの仕方が違うということ(行動)だと私は思うのです。

で、思うのが、果たして浴びせかける「冷たい水」は必要でしょうか?と。

 

台風と延命

 

 

2023年の台風6号 

 

 

5号が台湾を横切って大陸へ向かっていると、熱低だった6号は、それを追うように進み出した。発生した時は、弱っちそうだと思ってたら、ぐんぐんパワーアップして台風の目もクッキリに。

台風は近づいてくるのが予測が出来るから自然災害といってもまだ良いのかもしれない。それに台風は直撃されても2日もあれば通り過ぎて行く。

でもこの6号、ノロノロやって来て沖縄島と宮古島の間を時速15〜10kmで(5kmという表示も見かけたw)移動した。その間、強烈な暴風雨の中にぶち込まれたままだった。

私の住む家は、私よりちょっと年上の年季入った建物。コンクリート製だけど、ひび割れやコンクリが剥がれて落ちて錆びた鉄筋が剥き出しの部分もある。

階段の歩く部分の真ん中にヒビも入ってるのだが、今回の暴風で結構揺れたので心配だ。

揺れる機能無い古いコンクリの建物(苦笑)が、揺さぶられると、脆く堕ちる可能性はマシマシになる。

 

この6号、ノロノロでやって来て沖縄島南部を横切って、高気圧の張り出しに北上を阻まれてグルグル留まり、しまいには折り返して沖縄島北部を横断する予報だ。

2日どころか、ほぼ一週間。沖縄付近に消えずにいる。明日からは折り返しが始まるトホホ

 

おかげで通院先の透析治療は休みになった。1日越しの透析治療(週3回なので2日空く時がある)が定期的に受けられず、3日と半日空くことになったのです。透析治療はある意味、延命治療です。

透析をしなければ2週間で死んでしまいます。

しっかり治療をしている人でも透析治療を受けられないとなると、体の毒素が溜まり1週間くらいでヤバさが現れてくるでしょう。

私は以前旅行で3日間開けたことがあるので、今回の3日くらいは大丈夫だろうと思いますが、いつもより飲水量や摂取する食べ物に用心して乗り切らなければならない。

ちなみに今日は3日目。あと半日でしっかり透析にむかえる。

 

で、地震などの災害だと本当に恐ろしいなと思ったのでした。通院が煩わしいなぁと思うことあるけれど、ありがたいことだよなと。

延命処置を繰り返しここまで生きられています。

あと、家、崩れるなよ~祈

 

 

 

乗り越えても傷は残る

 

 

砂川さん発行のメルマガGRADiに載ったお話をここにも置いておきます。

 

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あぁ〜あ、気が重くなる。

透析で通院している病院から、大腸検査を受けるように言われたのです。

大腸検査しんどいなぁ…何年ぶりだろう…。担当の医師から、総合病院とか大き目の病院で検査してほしいと言われました。

もしも病気が見つかった時に、処置や入院になっても対応できるようにということだった(透析ができる設備があるところということ)

さて、どこにしようか…私の通っている病院と同じ市内にも総合病院はあるのですが、嫌な記憶がありそこには行きたくないと思ったのでした。

 

それはだいぶ前のことだけど。

通院している病院の定期検査で腹部エコーをした際、膵臓に気になる箇所が見つかり、通院先の担当医からは「一日も早く詳しい検査を受けてください」と言われたのでした。同じ地域のその総合病院を受診することにして、もしものことがあったらと思い、パートナーも一緒に行きました。初めての受診、消化器内科の男性医師からの検査の説明を聞いた時もパートナーは一緒に話を聞き、検査直前まで側に付いていました。

が、検査が済んで結果説明の時になって、男性医師から付き添いの方もご一緒しますか?と聞かれ、私はもちろんハイと答えました。すると医師は、私の隣にいたパートナーを見て「妹さんですか?ん?(誰だっけという顔をして)ご家族の方ですよね?」と。私が「パートナーです」と答えると、男性医師は怪訝な顔をしました。そして露骨に「パートナー?」と聞き返しました。

私はまた「私のパートナーです」とハッキリと頑張りました。すると医師は「パートナー?」(ちょっと鼻で笑った感じだった)「何だかわからないけれど、ま、いいです。ハイ、では説明しますね」とドライな対応になった。パートナーのことを軽んじられたと思いました。こちらは最悪の結果もありうると緊張しているのに、イラッとした。でもとにかく彼女も一緒に説明を受けられるならと、気にしてない風に振る舞った。

 

結果は。異常なし。通院先の検査で指摘された部分は全く見られなかった。ほっとした。よかったという気持ちで、この医師の態度とかどうでもイイやと思って胸の中に納めたけれど、やっぱり今もずっと心に傷として残っている。というか、傷として残っていたんだなぁと今回の検査をどこにしようか考えることで蘇りました。

そしてセクシュアルマイノリティが利用しやすい病院ランキングとかあるといいのになぁと思いました。

 

しかし、自分のセクシュアリティに関係することをよく言ったよなぁと思います。当時、通院している病院でもクローズドで、砂川さんにもまだ出会っていません。何で行動出来たのか、それは私が透析を始めることになった緊急入院の際の記憶があったから。医師からパートナーを排除された苦い経験でした。だからもうそれは繰り返したくなかったのです。

自分たちを守るため、ギリギリのアピールをしたのでした。

あれから社会は進みました。私は自分を守ってくれる仲間を見つけ、自分を解放し、LGBT運動に参加することでちょっとだけ強くなりました。セクシュアリティもオープンです。

 

運動の盛り上がりで那覇市浦添市はパートナーシップを導入しLGBTサポートを掲げています。そうそう、活動中、砂川さんが病院職員への講座も何度か開きました。講座を受けた職員の方は、皆さん真剣に聴いてくれてサポートの決意も聞くことが出来ました。

私にとってもその講座が開かれたことは、安心安全に直結した事でした。

 

行政や病院がLGBTサポートを表明することって重要だと実感します。命に関わることなのです。セクシュアルマイノリティの病院に行けない問題は多いのです。

私は今回「病院どこにしようか問題」を考えたことで記憶も蘇り、どこの病院にするかも決められました。

だから、講座を受けてくれた病院に行きます。講座から何年も経っているので実際どうかわかりませんが、嫌な気になっても、そのことを伝えやすいと思っています。

 

 

 

私の視点

 

 

「寛容」な国とは?

許されないと生きていけない国ということか?

私(たち)は何かを失敗したのか?失敗を許される「寛容」な国?

「寛容」という言葉って、何となく雰囲気でわかってるつもりで使ってるよなぁと(自分も含めて)思って、ちょっと調べてみての感想だ。

「心が広い」とか…大まかにそんなことと思ってなかった?「広い心で受け入れる」とかさ…良い感じの様子を表すって。

 

でも「寛容な国」ゾッとした。恐ろしいと思った。でも、そうだね「寛容の国」だねとも思った。

そんな場所で私は、生きている。

私は誰かが許してくれて、生まれたのだろうか?「寛容」から考える。

こんな風に考えることは、いわゆる「フツーの人たち」は無いのだろう。

 

私はこの国は生きづらいと感じるし、多くの許さないを持つ国(国民)だとも感じている。

私は同性愛者で女性で、透析患者だ。

私は自分のことが好きだし、同性のパートナーがいる私を誇りに思う。

私は女性がジェンダーで苦しい思いをする社会を変えたいと思う。

私は、女性が他のマイノリティを叩くことを最悪だと思っている。

病気をしても安心して人生を全うできる社会が当たり前だと思っている。

自分らしく生きようとする人を叩き、死を選ばされる社会は異常だと思っている。

 

「寛容な国」…この国をそう表す人たち、確かに合っているね。

 

日本は寛容な国と言う人は、今一度考えてみてほしい。

想像して。

自分の周りの女性が寛容の中で生きていると。

子供達が寛容の中で生きていること。

さまざまなマイノリティが、許されないと生きていけない国とは。

そして、できれば、

いつか自分もその「寛容」の中に生きていると思い知ることになるかもと。

 

10回目の海の日に

 

 

2013年、7月海の日のある連休、ピンクドット沖縄が初開催された。

私が共同代表をしていた頃は、真夏の開催だったのです。

まさに「夏がはじまった 合図がした〜」byMrs.GREEN APPLE みたいに、そう、私の遅くやって来た青春だったなぁ。

 

帰沖した砂川さんに、沖縄で活動するなら一緒にやらせて下さい!と言ってはじまった私の「自分を生きるチャレンジ」自分を問い直し、引き受けることや飛び込むこと…やったなぁ

私のオープンに生きることがはじまったのです。

42年目で、やっと生まれた私。あゝそのままの私を生きていると実感出来たんだよなぁ

2度人生を生きた感じだ。でも今ではクローズで生きた時を思い出せないほどだ。でもそうだよね、「自分」は変わってないんだもの、隠したりつくったりしなくてよくなっただけで、ほんとよかったと思う。傷つくことは相変わらずあるけれど。

 

ピンクドットをやっていたその頃の細かい記憶は、記憶の箱の中に保管されていて直ぐに思い出せなくなっているけれど、今年も連休になるとあの暑さを思い出す。

思い出す言葉で砂川さんが言った「自分達は歴史の中の歯車の一つ」「種を蒔く」という言葉を思い出す。

私たちの前を歩き切り拓いてきた人たちがいた。そして私達もそれに続くパレードへ加わったんだ。

絶対折れず、しなやかに、自分達が生きるプライドを持てる社会へ。

一緒に歩くことが叶わなくなった人の分も。背負うものは大きくなっていくけれど、絶対、折れずに。

進め進め。

プライド月間に思うこと

まとまりなく長くなってしまったw

砂川さんのメルマガに載った文の長いバージョンみたいな

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6月はプライド月間。セクシュアルマイノリティが胸を張って生きることを祝う、世界的にレインボーフラッグがはためく月です。

でも、日本では、人権平等を軽視・無視する人達が作った『LGBT理解増進法案』が通ってしまう酷さで、私たちの生きる気力が削がれることに…。覚めない悪夢というか…。

 

悪夢はひどさを増して、まさかと思うことが起きています。一部の女性達(その人達は自分達はフェミニストだと言っている)からのトランスジェンダーへの公での言葉の暴力。その動きは家父長制を良しとする人達と合流して、セクシュアルマイノリティを叩く。今はトランス女性がターゲットだけど、シスジェンダーレズビアンにまで及ぶのだろう。そしてこのヘイトが、言葉の暴力にとどまらず、実際の動きに繋がるのを私は恐れている。「自分達はフェミニスト」と言っているヘイターは、「トランス女性から女性を守る」と声を荒げて脅す。

 

私は、「頭がおかしくなったのか?フェミニストってこんなだったか?」と思った。でも、私はやっぱりなぁと言う思いもあった。

昔、何度か行ったフェミの講座を思い出すのだ。そこではシス女性のことしか語られず、女性対男性の構図だった。その時の私は、いわゆる『女性』の性自認を受け入れられていなくて…でも、その講座では女性が抑圧されていることやジェンダーバイアスについてや人権、「社会的に平等だ」と伝え学んでいるのを見て安心したものでした。だから講座の後はエンパワーされつつも複雑な気持ちを抱えたままでした。

なので、もしやいつか、この二項軸でしか語らないフェミ(たち)は、私を排除するのではないかと不安を持っていました。その気持ちを持ちつつ心の拠り所とする…それは悲しい思いです。

(幸い私はその後、素敵なフェミニストの皆さんに出会い、安心安全な場所を見つけ今があります。)

 

なので今回のこの動きも、恐れていたことが来たと思いました。そして、この行動の先にはこのフェミニスト(たち)も自分の首を絞めることになるだろうに…とも思っています。

こんなにはっきり現れて来たバックラッシュ。どうしたらいいんだろう

 

私としてはこの10年で、セクシュアルマイノリティに対する環境改善が進んで来たと言う実感、あったんだけどなぁ…と毎日ため息が出ます。

そんな中でも、福岡の同性婚訴訟の判決。「違憲状態」という形でモヤるけれど救われました。

世界のあちこちで開かれるプライドイベントの様子にも勇気づけられたし。

そしてたまたまネットで目にした記事、福岡県古賀市の市庁舎に掲げられた数々のレインボーフラッグ、その様子を見てあゝ良かったやっぱり進んでいるんだと安心しました。

 

社会は動いているんだ!とうれしく思いました…いやいや、思いましたじゃなくて、こういうことは伝えなくては!

と、私は古賀市のHPのご意見/ご質問の項目を見つけメールを送りました。こういう行動は地味だけど大切(砂川さんから学びました)

 

古賀市のLGBTQ+へのサポーティブな行動に対してありがとうを伝えるメッセージを書きました。バックラッシュで心病むプライド月間に、古賀市の行動に勇気づけられたこと、そしてその方針をこれからも行動で示してほしい、と。

 

それと一つ引っかかったことも伝えました。

それは、書き込んだご意見/ご質問のフォームに性別記載があったことです。男女で表示され選ぶものでした。なので、<その他>を増やすことができると思います。それより、性別の記載は必要なのか?と、検討してほしいと書きました。

すると早速担当の方から返事がありました。以下内容を

 

<市の取り組みをご覧いただきましてありがとうございました。

今後とも「だれもが自分らしく生きていける社会」の実現に向けて多様性の理解促進に向けて努めてまいりたいと思っています。>

 

それから指摘した件には、<当市では平成30年度より、国勢調査に代表されるような国・県における統計調査や、アンケートの趣旨から特に必要とされる場合を除き、アンケート調査においては、原則として性別欄を設けないこととしております。今回ご意見をいただきました古賀市公式ホームページ上の「各課へのお問合せ・ご意見」のフォームにつきましても、この方針に準じ、性別欄は削除することといたしました。貴重なご意見、ありがとうございました。>

とのことでした。ああ良かった~伝えてよかった。

 

そして私でも何か出来るんだと改めて思いました。

LGBT理解増進法』で見えた病み。バックラッシュで噴き出した膿のおかげで見極められたこともあった。

私たちの存在が完全にそこにあるということ。

 

 

 

 

私の好きな場所

 

一昨日、iPadに来ていたニュースをザッとチェックしたら、琉球新報のデジタル版の記事が目に飛び込んで来た。小さな見出しには<カミングアウトをきっかけに 浜比嘉島で宿泊施設>とあった。

大きい見出しもあるのですが、「カミングアウト」という言葉をピンポイントで見つけるって、脳の力だなぁ。わちゃわちゃしたニュースの中でも、感心があるというか自分に関係していると思っている言葉は見逃さないなぁと感心する。

 

記事の大きい見出しは「島サウナでととのえて」でした。

琉球新報では最近サウナをレポートした記事を連載しています。

いつもだと「まだサウナ流行ってんだ〜」という感じで通り過ぎたはず、でも「カミングアウト」を見つけた今回はちゃんと目を通すことにしました…

 

セクシュアルマイノリティー当事者で、カミングアウトをきっかけに「こころをととのえること」に興味を持った>とはじめの方に書かれてありました。

京都出身の岡本さんという方が営む宿泊施設「島サウナ」を紹介して場所は浜比嘉島。ちなみにその島は私の好きな場所の一つです。

浜比嘉島という地域はセクシュアルマイノリティが住むとどんな感じなんだろうと思いました。お気に入りの場所ですが暮らすとどうかしら。

 

浜比嘉島沖縄本島中部の東側にある離島なのですが平成9年に橋で繋がりました。全長1430mの橋を渡ると、昔の沖縄の風景が残っている地域です。道幅も狭く低い石垣に路地。お互いの家の行き来も気軽に縁側から行っちゃうみたいな、懐かしいさを感じる場所。

そして神高い島でもあります(周囲7km弱の小さな島に琉球開闢の祖を祀った洞穴や御嶽が集まっています)島の風を思い出しつついろいろ想像します。島の人たちとの交流はどうなんだろう、習わしや継がれてきた価値観や感覚は強かったんじゃないかなぁと。

でも高齢化で、元々から住んでいた人々は少なくなっているのかもなぁなどとも考えました。それだったらセクシュアルマイノリティの生きづらさは軽くていいよねとかw

 

これまでは多くの人が行き交う都会が生きやすく、人の流れが少ない地域だと閉鎖的になりがちで、ジェンダーバイアスもひどいし、セクシュアルマイノリティは生きるのがしんどい場所という感じだったけれど、そこに住む人の代が変わったり、他の地域の人が定着するとで良い感じの場所になる可能性は高いかもと、希望を持ちました。それに、やっぱり顕在化と社会運動の賜物だと思うのです。沖縄県内での啓発はかなり進んでいるから。で、若い世代にはセクシュアルマイノリティの存在や人権尊重は当たり前になっているもんな(希望的な気持ちも含む)

 

そんなことを考えていて思い出しているのが、2016年にレインボーアライアンス沖縄で行ったアンケート。LGBTの人権について問うたもので、県議、市町村議員を対象にしていました。

その時の結果は正確には思い出せないけれど、多くの人が行き交う地域の議員の答えはLGBTという言葉を知っていて、その人権を守ることに対しても積極的だった。それに比べると人の流れが少ないと思われる地域は、予想していたことだがガックリなくらい意識が無かった(低いというより)

議員を対象にしているのでその地域の人々の意識は本当はどうなのかわからないところだが、しんどい地域に住む人のことを思い心が痛かった。

 

沖縄はだいぶ変わったのかも?

「生きやすさ」に地域差がないように