よんな~便り

ひっそり活動継続ブログです

私の視点

 

 

「寛容」な国とは?

許されないと生きていけない国ということか?

私(たち)は何かを失敗したのか?失敗を許される「寛容」な国?

「寛容」という言葉って、何となく雰囲気でわかってるつもりで使ってるよなぁと(自分も含めて)思って、ちょっと調べてみての感想だ。

「心が広い」とか…大まかにそんなことと思ってなかった?「広い心で受け入れる」とかさ…良い感じの様子を表すって。

 

でも「寛容な国」ゾッとした。恐ろしいと思った。でも、そうだね「寛容の国」だねとも思った。

そんな場所で私は、生きている。

私は誰かが許してくれて、生まれたのだろうか?「寛容」から考える。

こんな風に考えることは、いわゆる「フツーの人たち」は無いのだろう。

 

私はこの国は生きづらいと感じるし、多くの許さないを持つ国(国民)だとも感じている。

私は同性愛者で女性で、透析患者だ。

私は自分のことが好きだし、同性のパートナーがいる私を誇りに思う。

私は女性がジェンダーで苦しい思いをする社会を変えたいと思う。

私は、女性が他のマイノリティを叩くことを最悪だと思っている。

病気をしても安心して人生を全うできる社会が当たり前だと思っている。

自分らしく生きようとする人を叩き、死を選ばされる社会は異常だと思っている。

 

「寛容な国」…この国をそう表す人たち、確かに合っているね。

 

日本は寛容な国と言う人は、今一度考えてみてほしい。

想像して。

自分の周りの女性が寛容の中で生きていると。

子供達が寛容の中で生きていること。

さまざまなマイノリティが、許されないと生きていけない国とは。

そして、できれば、

いつか自分もその「寛容」の中に生きていると思い知ることになるかもと。