ネットで見た本の宣伝。
まっしろな表紙の真ん中に『コロナ後の世界』と書かれてあって、
論集ということで上の辺にずらっと並んだ有識者の名前。
12の知性と紹介で書かれてあった。 で、私は並んでいる中に女性の名前(女性だろうなという名前)を探したが、無かった。
ハイ!毎度のやつか…
出た出た気持ちといつまでたっても(憤)という気持ちとがやって来た。
ガックリくるんだけど本当は心の底ではとってもワジワジーするわけ。
またろー、うったーや、男ばっかりで世の中のこと語るばあ?と。
(まただよ! 彼ら(この本を出した人達も)は、男ばかりで世の中のことを語るのか?)
本は予約販売となっていたのでレビューもまだなくて。だから内容もまだわかりません。並んでいる方のお名前見ると素晴らしい内容かもしれない… でも、この表紙…溜息。 圧を感じる。
世の中(私の住む国・社会)の情報を発信するお仕事の人達は、このバランスって気にしないのかしら…
セクシュアルマイノリティーの活動の時、
ゲイもレズビアンもトランスもいろんな人達が関わっているということを発信するように意識していました。 あ、最近のピンクドット沖縄の記事を見ると写真の写るのが男性ばかりになっていることが多くて、ちょっと心配しています。でもセクシュアルマイノリティーの活動で顔出しできる当事者も少ない現状がまだまだあるので、それも仕方ないことです…。
しかしこの時代になっても男の人が前面に出るのが当たり前で、
それが刷り込まれてしまっているのだよなぁ
もしかしたら逆に時代は遡っているのかもしれないとも考えたり。
例えば新聞紙面の記事とかで、
男女参画とか女性に焦点を当てたイベントや発表の時でも、
女性は脇でそれに関係した男性が前に陣取って写真に納まっていることはあいかわらず多いw。
子供の発表会の記事にも、賞をもらったその子よりも目立ち、
真ん中で大人の男性が堂々と写っているパターンもあるね。
この男性たちって、どんな気持ちなのだろう?って思います。
子供はたぶん何も言えないし、女性でも刷り込みで無意識の人多いしなぁ
以前、集合写真撮るとき「どうぞどうぞ、男性陣前にどうぞ」とか「殿方が前に」とか言ってるの聞いた時には え?女性運動とかに参加してる人達だよね?と…一瞬気を失いかけたっけ
もしかしたら男性前へどうぞとすすめた女性は、写真が苦手で前の方で映りたくないからというのもあったかもだけど、私は撮影され写真が載ることも活動の一つと考えてきたから、ちょっとモヤッとするのでした。
取材している側も、ん?おかしくないか?という感覚、意識があればいいんだよなぁと思う。
で、やっぱり情報を受け取る側の私達の見る目も鍛えなきゃだよなぁ
ん?変だな って感じ取れるように。
でも、こうやってぐるぐる考えを巡らせるんだけど…基本的な疑問に戻ってしまう。
それって 意識的にしてるのか、刷り込みとか無意識でやってるのかって